19950117の記憶

おはようございます

 

今日、1月17日

 

 

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阪神淡路大震災から22年。。。

 

 

高3の1月17日早朝、床から激しく突き上げられる、経験した事のない揺れで目が覚めました。


隣の部屋にいた弟と、さっきの地震?って呑気に話をしながら起きて


学校に行かなきゃ…って行く準備をして佐津駅までチャリで行きました。

 

 

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汽車は全く動いていない状態で

 


男子が交代で公衆電話から香住駅に問い合わせの電話をかけていました。

 


しかし、全く電話が繋がりません…

 

佐津駅は無人駅で、


汽車が遅れている時などは香住駅から案内の放送があるのですが、この時は何故かありませんでした。

 

 

当時はスマホどころか、ガラケーも、携帯電話まだない時代です。。。

 

 

なんの情報もなく分からないまま、

 


朝の地震すごかったなぁ!

 


って、みんなとワイワイしていた。

 


ただただ時間だけが過ぎていき、
汽車も来ないし、待ってても来るか来ないか分からないし、寒いしで


みんなが10時か11時くらいまで駅にいたんだけど
一人、また一人と家に帰っていきました。

 

私も同じく家路に着きました。。。

 

 

まだ現実も知らずに、神戸の街がどうなってるかも知らずに、汽車来ないから諦めて帰る!みたいな感覚でした。

 

 

仕方なく家に帰り、何も知らないままにテレビを付けると

 

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私の目に真っ先に入ったのは、地震でペッシャンコになった阪急伊丹駅でした。

 


短大受験の時に利用し、進学も決まっていました。

 


えっ?なに?ゆ、ゆめ?なんなん?

 

 

状況が全く理解できず、テレビの前で唖然としてしまってる自分

 

 

あちこちで起きている火災現場に辿り着けない消防車を祈る気持ちで見つめる自分

 

 

ただただテレビを見る事しか出来ない自分

 

 

全ての感情が無くなったかのように

 

その日はただただテレビを見つめているだけでした

 

 

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あれから22年が経ちました。
私の人生の半分以上が『震災後』、となり

 

私も40代に入りました

 

 

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鳥取の某店舗トイレに貼ってありました

 

 

よく、阪神淡路大震災を教訓を元に

 

 

とか言うけど、実際は

 

喉元を過ぎれば忘れてしまっています

 

 

でも、

 

年に1度は、あの震災の事を思い出すだけでも違うのかな?と思うのです。。

 

 

あの時、どのように過ごしていたか

 

 

ほんの少しでも思い出すだけでもいいと思います。

 

 

それが、19950117…を忘れないことなのかな?

 

と、生意気ながら思うのです

 

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